中日に入団が決まった松坂大輔投手の四柱推命は!?

ソフトバンクでの3年間で、1軍登板はわずか1試合、1イニングのみだった松坂大輔投手の中日入団が決まりました。
かつて野球ファンの心を鷲掴みにした大投手ですが、投げられない状態が長く続き、年齢もすでに37歳。
まずは一軍での一勝を見たいものです。

松坂大輔、中日入団を勝ち取った恐るべき“執念”〈dot.〉1/25(木) 16:00配信

鮮やかなスカイブルーのトレーニングウエアは、両肩の部分に、ドラゴンズのチームカラーである深めの紺色、通称「ドラゴンズ・ブルー」が施されていたのは、単なる偶然だったのだろうか。
およそ100人の報道陣。
地元・名古屋のテレビ局が、入団テストの結果を生中継したほどの盛り上がりぶりに、自主トレ中の選手から「ドラゴンズが始まって以来の報道陣の数だね」の声が出たほどだった。

「個人的に“竜”が好きで、グラブにも刺繍するくらいなんです。何か縁があるのかな。そう勝手に思っています」

松坂大輔を基点とした、メディアの喧噪の輪。
穏やかな表情で“ドラゴンズ”にまつわるエピソードを、自ら披露した。
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質問した記者の方に視線を向け、言葉を慎重に選びながら話し始める。
メディアの先にいるファンに対して、まるで語りかけるかのように、ちょっとしたストーリーを披露していく。
そうした心遣いとウイットに富んだ会見は、世界の大舞台で、その実力を長年にわたって見せつけてきた「スーパースター」にふさわしい振る舞いに映った。

2018年1月23日。
冬のナゴヤ球場に、松坂大輔がやって来た。
「入団テスト」と位置づけられた舞台を、37歳の右腕は「久しぶりの緊張感」と表現した。

ソフトバンクでの3年間で1軍登板はわずか1試合、1イニングのみ。
レッドソックス時代の2011年に右肘靱帯再建手術、いわゆる「トミージョン手術」を受け、ソフトバンク1年目の2015年にも右肩を手術した。

投げる、痛める、そして投げられないという、負のスパイラルの状態が、長らく続いている。
昨季も、日本球界復帰3年目で初先発の予定だった4月15日のオリックス戦(ヤフオクドーム)の直前に、右肩に異常を訴え先発回避。
以後、1軍どころか、2軍でもマウンドに立てなかった。

3年契約の満了に伴い、ソフトバンクが提示したといわれているのは「リハビリ担当コーチ」の肩書で、復帰を目指すというものだった。
かつて、右肩手術後の斉藤和巳氏が現役復帰を目指し、このスタイルを取った前例がある。

3年間で1軍登板1試合。
その“実績”を踏まえれば、支配下選手の貴重な1枠を、松坂といえども与えることはできない。

かといって、日米通算164勝の右腕に「育成契約」を提示するようなことをすれば、むしろソフトバンクの方が、球団としての見識を問われる。
松坂のプライドと、球団側の最大限の誠意ともいえる“落としどころ”でもあったが、松坂はこれを断ったという。

現役引退を強いられたわけではない。
しかし、それは事実上の戦力外も意味する。
松坂クラスの選手になれば、自分で、自分の引き際を決めなければいけない。

ぼろぼろになる前に、晩節を汚さぬよう、自ら身を引くのか。
それとも、何を言われようとも、とことんまで、野球にこだわり、しがみつくのか。

松坂は、後者を選んだ。だから、ソフトバンクを去った。
復活への猶予を与えるというその厚遇を蹴ったのは、自分はあくまで「現役投手」だという矜恃だ。

愚直なまでの野球へのこだわり。
テストの「合格」を決めた直後、中日・森繁和監督は「納得がいっていないんだろう。ここでやめるかどうか、そんなことは分からない。でも、そういう道を、私が作ってもいいのかな。そうさせる何かが、あいつにはある」と、松坂の“執念”を、何よりも評価した。

ソフトバンク退団直前の昨年11月の時点でも、ブルペンで捕手を座らせ、本格投球を再開させていた。
名古屋でのテストに合わせ、ロサンゼルスでもトレーニングを積んだ。

メジャーのキャンプインは2月中旬。
その1カ月前にあたるこの時期、全盛期の松坂だったら、体作りがメーンで、ブルペンに入ることなどないだろう。

それでも松坂は、底冷えのする名古屋の室内練習場で、全力で投げた。
ストレートにスライダー、カーブ、チェンジアップ。

森監督は、22球を投げたところで、ストップをかけると「よし、着替えてから、しっかり会見してこい」。
それが、合格への合図だった。

「はっきりと『合格』って言われなかったんです」と笑いながら明かした松坂だったが、非公開で行われた入団テストで、投球らしき“ミット音”が、報道陣に聞こえていたのは、ほんの5分ほどのこと。
18歳の松坂大輔が西武に入団した1999年、2軍投手コーチとして、若い剛腕の凄さを間近で見続けてきた指揮官にとって、19年後の変化は、ひと目見ただけで分かっただろう。
それでも、松坂の心が“折れていない”と分かれば、それでよかったのだ。

「やり尽くすまで、ここでやってみればいい。どこまでついてくるのか、今後を楽しみにしています。松坂世代といってる連中もいる。あるもの全部を見せて、言葉で、体で、自分の後ろ姿で、いろんなものを若い選手に教えて欲しい」

指揮官は、合格を告げた後の会見でそう語った。
調整のスケジュールに関しても、松坂に「キャンプで過ごすタイミングの中で言ってくれ」と告げた。
それでも、松坂に甘えるつもりなどない。

「何度も言いますが、僕はここ何年も投げていません。僕の中では、テストが終わったらキャンプ、キャンプをしっかり過ごしてオープン戦、オープン戦でしっかり結果を残して開幕。しっかりと開幕を目指す上で、キャンプまでに『100』にしていきたい」

キャンプのブルペンで投げ、バッティング練習で投手を務め、シート打撃に登板し、紅白戦で投げ、結果を出した上でオープン戦のマウンドをつかみ、そして開幕へ。
1つ1つの関門を、自分の力で突破できる。
その自信があるから、名古屋という、最後の勝負をかける新天地へやって来たのだ。

さて、現実を踏まえた、今後の話もしてみよう。
中日は2013年から5年連続Bクラスと低迷が続いている。
昨季、2桁勝利を挙げた投手がおらず、大野雄大の7勝が最多。
チームの浮上には、投手陣の再建が急務だ。
しかし、現時点でもタレント不足は否めない。
開幕時の先発ローテーション候補に挙がるのは、その大野をはじめ、昨季5勝の22歳・鈴木翔太、21歳の左腕・小笠原慎之介、2年目の柳裕也らの若手に、33歳の吉見一起、39歳の山井大介のベテラン勢。
新外国人の左腕・ガルシア、右腕・ジーの加入に、4年連続50試合以上登板のセットアッパー・又吉克樹の先発転向も検討されているが、質量とも、現時点では“弱い”といわざるを得ない状況だ。

松坂には、全盛期の150キロ超、浮き上がるストレートはもう期待はできないとはいえ、その“術”はある。
横浜高時代に春夏の甲子園を制し、レッドソックス時代にワールドシリーズを制覇、五輪で2度、WBCでも2度日本代表になった“レジェンド”の存在は、若い投手陣の中で、豊富な経験値がもたらす効果は計り知れない。
前述したように、昨季も一度は、ソフトバンクの先発ローテの一角を任されようとしていたこともある。
「もちろん先発はやりたい」という松坂が、中日投手陣の“貴重な1枚”になり得る可能性は十分にある。
そして、戦力としてはもちろんだが、グラウンド外でも、中日に大きな効果をもたらせる“潜在能力”も秘めているのだ。
【後編(26日配信予定)に続く】(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。
サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。
その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。
産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。
産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。

[出典:松坂大輔、中日入団を勝ち取った恐るべき“執念”〈dot.〉(AERA dot.)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180125-00000026-sasahi-base&p=1 ]

そんな松坂投手の四柱推命をしてみました。

松坂大輔投手(1980年9月13日9時36分生まれ)

年 庚申 傷官 沐浴
月 乙酉 偏官 長生
日 己丑     墓
時 己巳 比肩 帝旺

大運 己丑 比肩  墓
流年 戊戌 劫財  養

比肩星 土 ●●●
食神星 金 ●●●△△
財星  水 △
官星  木 ●
印星  火 ●

松坂選手の命式は!?

己丑日生まれの松坂選手。
以前書いた滝沢カレンさん、宮里 藍さん、武 豊さん、三浦翔平さん、Saoriさんも己丑日生まれでした。
2017年上半期、最もブレイクした女性、滝沢カレンさんの四柱推命は!?
今季引退したゴルフの宮里藍選手とテニスの伊達公子選手の四柱推命は!?
美人競馬キャスター・小浦 愛さんとキス報道の武 豊さんと、妻の佐野量子さんの四柱推命は!?
知り合って5年、交際を開始した桐谷美玲さんと三浦翔平さんの相性は!?
初小説『ふたご』が直木賞候補になったというセカオワのSaoriさんの四柱推命は!?

己は陰の土、丑は冬(1月)の土(陰)で、雪の下の田畑といった感じです。

強い傷官はセンスの良さ、帝旺は運の強さ・能力の高さ、偏官はカリスマ性などをあらわすので、野球選手でピッチャーという職業にぴったり合って成功を収めたのでしょう。
渡米した2007年には、日本人初のワールドシリーズ勝利投手となってチームの世界一に貢献、2008年には自身MLBで最多の18勝で、チームを2年連続のポストシーズン進出に導きました。

2009年には日本代表をWBC連覇に導き、2大会連続で最優秀選手に選ばれました。
しかし、WBCの前から股関節を痛めていたのに日本代表として出場し、結果この年は活躍できないまま終わってしまいました。

2009年は比肩の墓の年、さらには大運が劫財の絶で、もともと強い比肩がさらに強まり、さらには墓がダブルになることで、運気が八方ふさがりのような感じでした。
年上の傷官は身体にメスが入りやすく、しかも右肘靱帯再建手術をした2011年は、もともと強い食傷星がさらに強められる年でした。

2016年・2017年は印星の年まわりとなり、精神的に参っていた時期だろうと思います。
2018年は、再び比肩(劫財)の年が巡ってきました。

2017年までの思い悩む時期を脱し、新しい出発をしたいと思う時期に入りました。
今年の成績いかんでは引退を選ぶのかも知れませんが、新天地で思いっきり、悔いのない野球人生を送ってほしいと思います。
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