阪神・金本1軍監督と今季限り電撃退任の阪神・掛布2軍監督の四柱推命は!?

阪神・掛布2軍監督の今季限り電撃退任の真相とは? 9/11(月) 5:30配信

阪神の掛布雅之2軍監督(62)が今季限りで退任することが10日、阪神の四藤球団社長によって発表された。
2年間の契約満了による退任で、今後に関しては、オーナー付きの相談役、アドバイザーとしての残留を要請した。
関西のマスコミに球団社長が発したコメントによると、「全体の底上げができた」「世代交代」というのが理由らしいが、底上げができているなら、「さらにお願いします」だろうし、「世代交代」を持ち出すのならば、そもそも、60歳の時点で2軍監督をオファーしたことと大きく矛盾している。
次期監督候補含みで福留孝介を2軍監督に据えるというのなら、まだしも、掛布2軍監督の後任候補の名前も出なかった。

四藤社長は、苦しい弁明に終始することになったが、それも仕方がない。
球団フロントのトップとして口には出せない真相があったからである。
 
今回の電撃退任劇には、いくつものなぜ?が並ぶ。

この日、サヨナラ本塁打を放った伊藤隼太、すでに19本塁打をマークしている中谷将大の2人は、4年前に、故・中村勝広GMから、DC就任を要請された掛布氏が、秋季キャンプ中にホテルの部屋に畳を敷きスポンジボールを使った打撃指導を続けた“初代掛布チルドレン”だし、4番に座ったドラフト1位の大山悠輔に関しても、肉体作りと打撃フォーム固めを平行させながら土台作りをサポートした。
今季は壁にぶつかった2015年のドラフト1位、高山俊を昨春のキャンプでマンツーマン指導して新人王へのステップを踏ませ、育成契約だった原口文仁も、4番で使い続けて金本監督に推薦、昨年は大ブレイクを果たした。
若手の育成だけでなく、ベテラン、中堅選手の再生や、モチベーションアップにも情熱を注いだ。
西岡剛のリハビリを支え、大和のスイッチ転向も根気強くバックアップした。

試行錯誤しながらも若手も育っている。
ベテランの再生にも手を貸した。
ここで掛布2軍監督を斬る明確な理由が見当たらないのだ。
阪神ファンの間からは、「何があったのか」「掛布さんが辞める本当の理由を聞かせてほしい」「体調が悪いらしい」「ロッテからの監督オファーがあったのでは?」などという憶測や不満の声が、ネットに多く寄せられているが、その反応も理解できる。

だが、掛布2軍監督は、すこぶる元気で体調の問題はまったくない。
そしてロッテや他球団からの監督や入閣オファーも一切ない。
千葉の習志野高出身の掛布2軍監督は、過去に千葉を代表するスーパーヒーロー、長嶋茂雄氏が推薦する形で、ロッテの重光昭夫オーナーから直接、監督就任を打診されたことは紛れもない事実だが、それも1990年台の話。
千葉に定着したロッテがいまさら千葉出身者に、こだわる理由もなく、仲立ちしたフロントマンもいなくなり、ロッテの次期監督は、ロッテOBでメジャーのレジェンド、フリオ・フランコか、今季限りで引退する井口資仁の2人で調整されている。

では、退任の真相とは何か。

坂井オーナーは、7月下旬の球宴休みを利用して金本監督を激励する形で、来季の続投を打診する“儀式”を行った。
そして、この時点では、同時に掛布2軍監督の続投も内定。
坂井オーナーも了承していた。
だが、8月中旬を過ぎる頃から、来季の掛布2軍監督は白紙となり、8月下旬に行われた球団フロントと金本監督のトップ会談から、球団役員会の手順を経て、掛布2軍監督の退任が正式に固まった。

本来ならば、スタッフ人事の通告はもっと先で、せめて優勝チームの決定、順位確定後の段階で行われ発表されるものだが、四藤社長は、8日、鳥谷の2000本安打がかかった試合前に、掛布2軍監督をファームの試合後に神戸のホテルの一室に呼び出して通告した。
話は20分程度。
ここでも退任理由は語られず、「2年契約の満了ということで、今後はオーナー付きのフロントの立場でチームを支えて下さい」という話だけ。
「世代交代」という文言もなかったという。

四藤社長が事を急いだのは、掛布というレジェンドへのリスペクトの証である。
新聞辞令が先に出てグチャグチャになることを避けたとも言える。
四藤社長は、その際、「会見は25日に」と要請したが、掛布2軍監督がそれを拒否した。
そんな長い期間、情報が外に漏れないわけはなく、この2年間、対戦してきた対戦チームへの関係者への挨拶を行い、なにより、この2年間、連日のように鳴尾浜を満員にして、選手に緊張感を与えてくれたファンへ感謝を伝えたいという思いもあった。
そして、広島の優勝が決まる前にすべての問題にケリをつけて球界にいらぬ騒動を巻き起こしたくなかったのである。

実は、掛布2軍監督の退任は、金本監督の意向を強く汲みとった人事だった。

金本監督には、ウェイトトレーニングで作った肉体を猛練習で鍛え、バットスイングを強くして、1年間最後までへばることなく戦える最強チームを作りたい、との理想像があった。
自らの広島時代の実体験からくる手法。
だからこそプライベートでは、ほぼ交流のなかった掛布氏(当時DC)の2軍監督就任をフロントに要請した。
テスト生同然のドラフト下位で入団、徹底してバットを振り込むことで一流選手になった叩き上げの掛布氏ならば、広島式に劣らぬ徹底したバットスイングをさせて、広島に負けないようなバットマンを育成してもらえるだろうと期待したのである。

だが、掛布2軍監督には、やらされる練習ではなく、自分で考え、自分からやるという主体性がなければ、選手は伸びないという持論があった。
強制か主体性か。
その考え方の違いから、1年目には良好だった金本監督―掛布2軍監督の間のホットラインが、徐々に機能しなくなってきた。
掛布2軍監督の野球が甘いと映ったのだろう。
加えて、金本監督の耳には、掛布2軍監督に関するネガティブな情報も入り、どんどん不信感も増していたという。

だが、本来、阪神のファームの運営、指導方針を決めるのはフロントの仕事である。
2か月に一度、掛布2軍監督らスタッフが参加してフロントと育成会議を開き、選手の課題や成長度をチェックしながら、ケガ持ちの選手や、まだ基礎体力のない1、2年目の選手が壊れないように、慎重に試合出場数や、連投禁止、球数制限などを決めながら“フロント預かり選手”という制度も作っていた。
掛布2軍監督も、球団フロントが方針を示すならば、議論はするがノーとは言わずに、その方針に沿うという考え方で指揮を執っていた。

球団幹部の一人は、ファームの遠征にもたびたび帯同して、掛布2軍監督と活発に意見交換を行い、リアルタイムでチーム状況を把握していた。
「監督、コーチが変わるたびに指導方針が変われば継続的な育成はできない」との考えで、今春キャンプ前には、掛布2軍監督に指導をベースに「球団の2軍指導バイブル」を作ろうという動きまであった。
しかし、この1年間で、「練習量が少ないのでは?」という提案は掛布2軍監督に一度もなかった。

金本監督がファームの練習量を含めた掛布2軍監督の指導方針に不満を感じていたのは、昨秋のキャンプから始まっている。
その考え方の是非をまずフロントが決め、金本監督の意見を良しとするならば、掛布2軍監督との間に入って、ファームの改革をフロントが推し進めるべきではなかったのか。
何度も掛布2軍監督と酒を酌み交わしていたフロント幹部は一体何をしていたのか。
ファームはフロント主導ではなかったのか。
掛布2軍監督を“斬る、斬らない”の前に何らかの調整をすることはできなかったのだろうか。

金本監督が掛布2軍監督の指導方針にノーを突きつけると、そこで調整や議論をすることもなくフロントは、掛布2軍監督を“斬った”。
 
金本監督が掛布2軍監督にノーを突きつけた理由は、指導方針のズレだけではなかったのかもしれない。
チームスタッフの一体感というものを大事にしたかったのかもしれない。
阪神の場合、この手の重大な事項の最終的な決断は、坂井オーナーに委ねられるが、その際、阪神の大事な功労者を使い捨てにしてはならない、というような話が出て、オーナー付相談役要請というフォローにつながったという。
 
そもそも、監督任せの人事や編成は、ひと昔もふた昔も前のマネジメントだ。
監督が変わればチーム方針も変わる、人も変わる、野球も変わる、では、長期的なビジョンに立ったチーム強化や育成は成り立たない。
阪神の球団フロントは、長年の暗黒の時代を経て、そういう教訓を得てきたはずである。
結局、すべてが金本監督任せになるのなら、いらぬ責任を負わされる金本監督の方が悲劇である。

ネットには「これで阪神ファンが減るでえ」という書き込みがあった。
掛布2軍監督が、背番号「31」のユニホームで最後の指揮を執るのは、9月28日に鳴尾浜で行われる広島戦。
ファンが殺到することが見込まれるため、現在、甲子園で代替開催できないかが検討中だという。

(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)

[出典:阪神・掛布2軍監督の今季限り電撃退任の真相とは?(THE PAGE)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170911-00000001-wordleafs-base&p=1 ]
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私は巨人ファンですが、掛布さんはとても大好きです。
2軍監督になったときも嬉しかったのですが、いつかは1軍の監督になってほしかったです。
そこで、金本知憲1軍監督と掛布雅之2軍監督の四柱推命をしてみました。

金本知憲1軍監督(1968年4月3日生まれ)

年 癸亥 比肩 帝旺
月 壬戌 劫財  衰
日 癸巳     胎

大運 己卯 偏官 長生
流年 丁酉 偏財  病

比肩星 水 ●●●●
食傷星 木 
財星  火 ●
官星  土 ●
印星  金 

掛布雅之2軍監督(1955年5月9日生まれ)

年 乙巳 正財 長生
月 甲申 偏財 建禄
日 庚申    建禄

大運 庚戌 比肩  衰
流年 丁酉 正官 帝旺

比肩星 金 ●●●△
食傷星 水 △△
財星  木 ●●
官星  火 ● 
印星  土 

二人の命式の違いは!?

金本監督は癸水の生まれで、掛布監督は庚金の生まれ。
掛布監督が金本監督を助ける形です。
まさに、2軍で育てた選手が1軍で活躍し、金本監督を助けています。

金本監督の特徴は食傷星が強いこと。
比肩が弱いのに食傷星が強いとつらいです。
食傷星が比肩の力を奪うからです。

しかし、骨折しながらも出場を続け、片手でヒットを打つ金本監督ですから、時柱に比肩と官星の星があるような気がします。
推測なだけで、実際のところはわかりませんが…。

食傷星が強い金本監督とは反対に、掛布監督は官星と印星が強いです。
記事にある「強制」と「主体性」の違い。

食傷星が強い人が「子ども」とすれば、印星が強い人は「老人」。
金本監督は現役時代から兄貴のように慕われていた存在。
「兄弟」あるいは「友達」のように選手に接する感じでしょうか。

一方、掛布監督は「親子」あるいは「先生と生徒」という感じで選手に接している気がします。
今回の決定は上層部の意向なのかわかりませんが、来年の阪神がどうなるのか、気になるところです。
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