シンクロ日本代表・井村ヘッドコーチの深イイ話

シンクロ日本代表の井村ヘッドコーチの深イイ話

2017年7月11日放送の「報道ステーション」より。
メダル請負人と呼ばれるシンクロ日本代表の井村雅代ヘッドコーチのお話です。


(出典:井村雅代(シンクロナイズドスイミング)リオデジャネイロオリンピック2016 JOC http://www.joc.or.jp/games/olympic/riodejaneiro/sports/synchronisedswimming/team/imuramasayo.html)

【1978年に日本代表コーチに就任後の、指導者としての世界大会のメダル受賞歴】
1984年 – ロサンゼルスオリンピック シンクロ正式競技化、元好三和子・木村さえ子組でデュエット種目銅メダル。
1988年 – ソウルオリンピック 小谷実可子・田中京組でデュエット種目銅メダル。
1992年 – バルセロナオリンピック 奥野史子でソロ種目銅メダル。
1996年 – アトランタオリンピック チーム種目(8人制)銅メダル。
2000年 – シドニーオリンピック デュエット種目の立花美哉・武田美保組、チーム種目それぞれ銀メダル。
2001年 – 世界選手権福岡大会 立花・武田組デュエット種目で世界大会初の日本人金メダル。
2004年 – アテネオリンピック デュエット種目の立花・武田組、チーム種目それぞれ銀メダル。
2008年 – 北京オリンピック 中国代表、チーム種目銅メダル。
2012年 – ロンドンオリンピック 中国代表、デュエット種目銅メダル、チーム種目銀メダル。
2015年 – 世界選手権カザン大会 日本代表、乾友紀子・三井梨紗子組デュエット・テクニカルルーティン銅メダル、チーム種目テクニカルルーティン、チーム種目フリールーティン、チーム種目フリーコンビネーションそれぞれ銅メダル。
2016年 – リオデジャネイロオリンピック デュエット種目の乾・三井組、チーム種目それぞれ銅メダル。

[出典:井村雅代(Wikipedia > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%9D%91%E9%9B%85%E4%BB%A3 ]
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2004年のアテネオリンピック終了後に日本代表コーチを退任した井村さんは、中国代表チームの監督に就任します。
そして2008年の北京オリンピックで中国代表をチーム種目銅メダルに導きました。

北京オリンピック後は中国代表監督を退任しますが、2010年に再び中国代表のヘッドコーチに就任。
2012年のロンドンオリンピックで、中国代表のデュエットを銅メダルに、チームを銀メダルに導きました。

2013年5月にはイギリス代表のコーチに就任。
わずか2ヶ月半の指導で、世界水泳選手権デュエットのテクニカルルーティンとソロのフリールーティンを8位に導きました。

そして2014年2月に、日本代表のコーチに復帰。
その年のアジア競技大会では、採点方法の変更によって各国が点数を落とした中、日本は2013年世界選手権を上回る得点を記録しました。
2015年1月に、正式に日本代表ヘッドコーチに就任。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、日本代表デュエットとチームをそれぞれ銅メダルに導きました。

井村コーチは、現在のシンクロメンバーを「宇宙人」と言います

「同じ国籍?と思うくらい言葉が通じない」と。

間違えたときに注意すると、本人はきょとんとしています。
「『絶対にしてはいけない間違い』と『小さな失敗』の違いがわからない」と。

井村コーチがいない間に、日本のシンクロはすっかり低迷し、「宇宙人の群れ」と化していました。
「試合で結果が出せない…」「練習も頑張れない…」

2014年に日本代表に復帰し、メダル奪還へ向けて始動しましたが、「宇宙人」を率いるために井村コーチ自身も変わる必要がありました。
井村コーチ曰く「優しくなった」「親切になった」

以前は、選手に対し「自分で気づけ」と要求していました

今はそんな要求はしません。

2014年に教え始めたころに、選手たちに言いました。
「あなたたちさ、コンビニで座ってスマホいじってる子よりも一生懸命頑張っている」と。
「だけど、その頑張りやったら、世界ではメダルを獲れないんや」と言いましたが、彼女たちには全然通じませんでした。

その数か月後、お風呂に入りながら「そうだ!」と気づきました。
「そうや!頑張りには種類があるんだ!」

中国に行った時は当時7位でした。
しかし、「北京オリンピックの開催国だから、どうしてもメダルが欲しい」と。

その後、イギリスに行きました。
目標を聞くと「8位入賞したい」と。

”入賞するための頑張りとトップの頑張りは違う!”ということに気がついたのです。
そして、教え始めた日本の選手たちを見てみたら、「あの子たちは入賞するための頑張りしかしていない」と。

「頑張りにも種類がある」

井村コーチが選手たちに求めた頑張りは、メダルを獲るための頑張りでした。

「力は使ったら増えるんや」
「力は使わなかったら減るんや」
「力は使ったら増えるんだって。だから使おうよ」

そうやって取り組むなかで、日本選手の素晴らしいところを見つけました。
「何回でも出来る」「何回でも同じことを繰り返せる」

それでも、「繰り返す質」が大事なのですが、「外国へ行ったら繰り返しさえ出来ないのがほとんどです」といいます。
しかし、日本の選手は飽きていても繰り返しやる。
その「繰り返し修練する」ことが日本の一番の強さでした。

そして迎えたリオデジャネイロオリンピック

日本はチーム種目で3大会ぶりの銅メダルを獲得しました。


(出典:五輪シンクロ 日本が3大会ぶりの銅 ロシアが5連覇 毎日新聞 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160820/k00/00m/050/135000c)
時代に合わせて選手への接し方を変えた井村コーチでしたが、一貫して変わらないものがありました。
それは「粘ること」

「私の思いが通じるまで、あの手この手で、あの言葉この言葉で、何回もトライすること挑戦すること、粘ることあきらめないこと」

選手が変わっていく、成長する過程が見られるから頑張れる。
そこにちょっとでも影響を与えられたとしたら……やめられない。
「選手が『嬉しい』と言ってくれたら、今までのことみんな忘れちゃう」と井村コーチは笑顔で話してくれました。

井村雅代さんの命式

1950年8月16日生まれ
年 庚寅 印綬 沐浴
月 甲申 傷官  死
日 癸未     墓

大運 壬戌 劫財  衰
流年 丁酉 偏財  病

比肩星 水 ●
食神星 木 ●●
財星  火
官星  土 ●
印星  金 ●●
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